歴史小説アンソロジー「日本史C」感想 その1

「史文庫」の唐橋史さん主催の歴史小説アンソロジー、「日本史C」の感想です。

・歴史は不得意です
・小学校で習ったことすら忘れている可能性があります
・最新の歴史的知識は持っていません
・そのくせ歴史小説やテレビ、映画等で偏った知識を持っている可能性があります
・「必携 日本史C・解釈と鑑賞」も読みました
・NHK大河ドラマを最後まで見たためしがありません
・でも「平清盛」はもうすぐ見終えます(あと5話くらい)
・ネタバレは考慮していません

……というような人間が読む「すごくあたらしい歴史教科書 日本史C」。
的外れなことを書いているかもしれませんが、歴史が不得意な人はこのように読むのか、程度に思っていただけると幸いです。



◆紅侘助さん「刻の彼方より」

韓人のヒダトキ、山の民のシカリ、アヲヤのノダカ、と語り手が次々に変わり、彼らがどう関わるんだろう、とわくわくしながら読めました。
持衰というものを初めて知りましたが、この「航海の無事を祈り、神に捧げる贄」という慣習はいかにも日本的だなあと感じます(というか、このあたりが発端なのでしょうか)。

それはさておき、ラストシーンでヒダトキがノダカたちに助力し、ヤマトの軍勢に立ち向かう姿は、中国や韓国をはじめとする諸外国の文化を取り入れて発展した日本の歴史そのもののように思えました。
なので、上代から時代をくだる構成のアンソロジーのトップを飾るには、これ以上ない作品なのではと思います。
ヒダトキの名が「白い兎」の意であると知らされてようやく、因幡の白兎に思い至ったのは不勉強ゆえですね。お恥ずかしい。


◆白藤宵霞さん「あかのくさび」

こちらは、さまざまな赤、の情景が浮かぶような描写が美しい作品でした。
私事ながら、昔親戚のおじさんに連れられて生駒山までサイクリングに行ったことがあり、もちろん自転車で山を登ったわけではなく、山裾までしか行きませんでしたが、西を見れば東大阪の町が平たく広がっていて、感動したのを覚えています。
(見ている方向は逆ですが)その光景が、眉輪の見た赤に染まる日下江にだぶって、わけもなく懐かしい気持ちになりました。

そして「あかのくさび」は「必携~」で解説と作者さんのコメントを読んで再読すると、また印象が変わるんです。眉輪の決断の台詞が、すごくドラマチックに思えます。


◆ななつほしなみさん「楽土の幻」

登場人物は中臣鎌足、藤原不比等と教科書にも登場する面々なのですが、飛鳥時代って何となく「聖徳太子すごいね!」とか「法隆寺すごいね!」とか「小野妹子は男なんだぜ」とかで終了してしまって、実際にどういう時代だったかというのはあまり印象がありません。
そういう意味で、この「楽土の幻」は舞台裏を覗いたかのような、教科書とは違った点にスポットライトが当たっているような、同人誌ならではの作品だと感じました。

激動の時代にあって、誰の下につくのが一族のためかという打算と、命からがら逃げ延びてきた滅びゆく一族の王子を救おうとする情けとの狭間で揺れる鎌足と、寄る辺なき兄弟の心細さやよすがを求める心の動きが丁寧に追われていて、歴史とは人々の営みであることを改めて実感します(いや、フィクションですけれども)。
燃え落ちた斑鳩の幻を追って唐に渡ったものの、幻は幻のままであったと失意の帰国を果たした真人と、実の両親の名を知らされず鎌足に育てられ、真人の言葉によって未来に楽土を築かんとする史と。
それぞれの楽土、無条件に彼らを許容する幻を越えようとしている兄弟に、日本の文化が花開く時代を思います。


◆唐橋史さん「袈裟を着た人」

歴史的背景というどっしりした土台を感じさせる骨太の物語でした。
物語だけでも十分すぎるほど面白いけど、沙弥から僧服や鉢を奪って体裁を整えた猪麻呂が、その性根とは何の関係もなく有難がられるくだりは、これって今でもあるよね……と感じたり、沙弥のふりをしていた猪麻呂が流民に襲われて叫ぶ「この卑しい食いつめ者どもめ」「下賤の犬どもは地獄に落ちろ!」には薄ら寒ささえ感じました。
因果応報、そう思うけれども猪麻呂は懲りない。
我が子の帰還を信じて胞衣壺を掘り出して喜捨しようとした老尼、彼女の赤銅の鉢を猪麻呂は東大寺まで命がけで運び、そこで開眼供養会に集った公卿に「身の程知らずの乞食め」と象牙の笏でぶたれるわけですが……。
猪麻呂が最初に沙弥を襲ったシーンの再現ですが、この時の猪麻呂は当初の猪麻呂とは別人であって、当初の猪麻呂に等しいのはこの公卿で……とすると、東大寺や大仏を建立した時代背景や、当時の仏教の教え、本音と建前、というようなことまで考えてしまって、不勉強なのが申し訳なくなりました。

ここで、「当時は○○だったわけですから、つまり仏教と一口に言っても……」的なことが言えればカッコイイのかもしれませんが、ただただひたすらにすごい作品だった、としか言えない自分が不甲斐ないです。すみません。


◆たまきこうさん「闇衣」

神話期~弥生時代、奈良時代~平安末期、明治~大正時代というのは、日本史においてファンタジー色が強まる時期だと思うのですが(個人の意見です……)、この「闇衣」でも触れられている京の闇や百鬼夜行、早良親王の祟りなどがどんぴしゃ、当てはまるわけです。だからどうというわけではないですが。

薬子の変についてまったく知識がなかったので、初読ではただ読むことしかできませんでした。もんやりと、映画「陰陽師」のキョンキョンを思ったくらいで。
「必携~」とウィキペでざっと知識を仕入れてから再読して、ようやく「おおお!」となった次第です。
ウィキペに書かれている藤原薬子という人は、天皇に取り入って好き放題やっていた悪女というイメージなのですが「闇衣」の薬子は学があって(ないと宮中には上がれませんよね……)聡明で思慮深い女性です。
闇、つまりは天災であったり流行病であったり、人心を惑わすものと私は解釈しましたが、それに苦しめられる平城上皇のためを想い謀反を起こし、人々の怨みを一身に背負って人柱となりましょう、闇の連鎖を終わらせましょうという愛の深さ。
史実を見事にアレンジされた作品だと感じました。


◆斎藤流軌さん「賭射」

このお話、すごい好きです!「日本史C」で一番好きかもしれません。
十二番目の皇子ともなれば政権争いからも遠かったのか、葛井親王の親しみやすい人柄にまず惹かれました。快活で気さく、けれどその内には大宰帥として京から遠く離れた土地で暮らさねばならない寂しさもあって。
皇家の鬼が現れ、祖父の太刀に対する品として酌の相手をせよとは何とも不釣り合いな、と思ったのですが、調べてみると(またもやウィキペさん)、葛井親王が帥宮として大宰帥となったのは皇室財政の緊縮が目的だそうですね。宴の後、一人で庭を見ながら酒を舐めるような心地にもなるわけです。

そんな親王と鬼との勝負、合奏と狩りのシーンは描写が見事で、雪のちらつく冬の夜を背景にした絵が浮かぶようでした。
また、回想から鬼の正体が田村麻呂だと判明するシーンは、射礼のエピソードが微笑ましく……単刀直入に申し上げて、すごく燃えました!(萌えではない)
葛井親王はこの後、四月に亡くなってしまうのですが、皇室財政の緊縮という理由のもと大宰府に送られた親王の無念や寂寥を汲んで祖父の田村麻呂がカツ入れに来た……と思ってしまうのは、深読みしすぎでしょうか。
大宰府についてや笏拍子の解説など、歴史に暗い私でもすごく読みやすかったです。






この調子で書いているととんでもない分量になりそうなので、今日はひとまずここまで! その2へ続きます。



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